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杏林大、2番目の生涯の恩師に会う◆Vol.13

スペシャル企画 2015年9月13日 (日)  橋本佳子(m3.com編集長)

――杏林大学の医学部は、1970年に開設したばかりで、北島氏が同大第一外科に講師として赴任したのは1977年。 新しい大学で、私が行った時には、まだ2回生までしか卒業していませんでした。第一外科に入局したのは、1回生が2人、2回生は少し多くて確か7人。相馬教授が、私より12歳上。それから11年上と、3、4年下の外科の先生が当時、順天堂大学から来ていました。スタッフも少なく、小所帯の教室でした。 新設の医学部なので、設備も整っていない。研究室には、買ったままの機器が、まだ箱に入ったまま置いてあった。それを箱から出すところから始まりました。 ただ、良かったのは、女性の実験助手を1人雇ってくれたこと。ハーバードの研究環境から比較すれば見劣りはしますが、ゼロから立ち上げるということで、やりがいはありました。 相馬先生は、Burke先生と並んで、私の3人の恩師のうちの一人。相馬先生は東京大学の出身ですが、東大以外の病院に長年勤務していた方です。 相馬先生から、教わったのは帝王学、特にナンバー2の使い方。それはその後、慶應に帰ってから、本当に役に立ちました。よく「俺が、俺が」と言う教授って、いるじ...