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1991年、外科教授として慶應大に復帰◆Vol.16

スペシャル企画 2015年9月16日 (水)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1991年5月、14年ぶりに慶應大に戻り、外科教授に就任する。若手の頃、そして杏林大学の教授になった頃、教授として同大に戻ることを想定していたのだろうか。 「慶應大教授就任は、落下傘が敵地に落ちたようなもの」と言っていたという(写真:的野弘路) 自分のキャリアが将来どうなるかについては、特別考えていませんでした。慶應に戻ってから、皆によく言っていたのは、「自分が教授になりたいとか、学会の理事長や会長をやりたいとか言っても、絶対になれない。それは周りの人が推してくれるもの」ということ。 そもそも慶應の教授選は、自らがアプライするものではありません。まず教授選考会で候補者をピックアップし、絞り込んでいく。私が後に医学部長になってから、候補者を呼んで、教授選考会の前でヒアリングする場を設けましたが、私の時はそうした場もありませんでした。 ただ、慶應の外科の教授選があり、私が候補者の一人になっているという話は聞きました。伝統ある慶應の教授ですから、本当にやりがいがある仕事ですが、一方で正直、「大変なことだな」と思いましたね。慶應の内部に、私よりも年上の先生方がたくさんおられたからです。 消...