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39歳で奈良医大教授、「まさしくゼロからのスタート」◆Vol.12

スペシャル企画 2016年9月12日 (月)  橋本佳子(m3.com編集長)

――再び1976年に、シカゴに留学、その後、また日本に戻り、1981年から奈良県立医大が心臓外科を立ち上げる際に、その初代教授として赴任した。 アメリカで本格的に外科医の仕事をするには、American Board of Surgery が必要で、ECFMGだけでは取得できない。そこで、シカゴのロヨラ大学のセントフランシス病院で、レジデンシーを始めた。外来はボード(専門医)を持っていないとできないから、そのチーフサージャン(プログラムディレクター)の保護のもとで働くという教育プログラム。 同期のレジデントはアメリカ人で、ものすごく競争心が強く、私にあたってくる。心臓外科の医師たちも仲が悪く、全く連携していない。おまけにボスとうまくいかなくなってしまい結局、資格を取得せずに帰国した。もっと若かったらやっていけたと思うけれど……。この間の詳細は省くが、帰国した時、当時の阪大第一外科の川島康生教授には温かく迎え入れていただいた。 1980年に帰国して、阪大病院で助手として勤務していた後、奈良県立医科大学が、心臓外科を立ち上げるために、教授選を行う話が出てきた。川島教授は、私を推薦してくれたも...