震災後10日間、「病院は孤立した船だった」
レポート
2011年11月14日 (月)
京正裕之(m3.com編集部)
福島県の南相馬市立総合病院副院長の及川友好氏が、11月6日の「現場からの医療改革推進協議会」主催の第6回シンポジウムで、福島第一原発事故直後の混乱した病院内の様子など、3月11日からの「混乱の10日間」を語った。その上で、南相馬市の医療現場は医療従事者が不足し、依然として厳しい状況下にあることを報告した。 福島第一原発事故後、「病院は孤立した船になった」と当時の状況を語る南相馬市立病院の及川友好副院長。 南相馬市立総合病院は福島第一原発から約23キロの距離にあり、病床数は230床。3月11日に地震、津波に巻き込まれ救急搬送された患者は約180人いたが、及川氏は、「病院業務自体にはそれほど影響がなかった。DMATも待機状態だった。しかし、3月12日の原発事故は文字通り通り、地震も津波も吹き飛ばした」と振り返った。南相馬市では電話、インターネットなど通信インフラが遮断。「テレビやラジオでいろいろな情報が伝わってくるが、病院は『孤立した船』になり、様々なことが起きた。多くの職員はパニックに陥った。この時期に病院全体として進む方向の意思決定が非常に難しくなった。休院を主張する者、入院患者を避難...
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