「阪大で移植できるようにせえ、って言いましたやん!」――「これで、移植できる」大学での心臓移植の体制が整ったのは1991年。一方、90年に発足した脳死臨調での議論は、92年の脳死臨調最終答申まで続くことになる。ところが1991年、福嶌氏は米国に留学。移植を希望して阪大第一外科に入局し、心臓移植を可能にする体制を進めていた中で何が起きたのか。世界中、法律がなくても移植医療は行われている。そんな中、中山太郎先生(当時の衆議院議員、医師)が「医者だけでやっちゃいかん。法律の規制が必要だ」と、脳死臨調が...