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産科崩壊の危機、乗り切った舞台裏【平成の医療史30年◆生殖医療編】

2019年3月27日  平成の医療史30年

 平成10年代(1998-2007年)、各地の基幹病院産婦人科では、一人医長が24時間分娩を担うという無謀な診療体制から産科医が逃げ出し、病院は産科を休止、妊婦が産み場を探してさまようという異常事態が起きていた。【平成の医療史30年◆生殖医療編】では、周産期医療が“医療崩壊”の代名詞となった時期に日本産科婦人科学会で理事長を務め、産科医療提供体制の大転換に役割を担った吉村泰典氏の話を聞く。全3回。(取材・まとめ:m3.com編集部・軸丸靖子、同編集長・橋本佳子、取材は2018年12月6日) たらい回し、受け入れ拒否、医師全員退職、産科閉鎖 ――平成10年代の終わり頃は都立墨東病院事件や奈良の大淀町立大淀病院事件など、産科医療提供体制の存続に関わる悲劇的な事件が立て続けに起こり、福島の県立大野病院事件の公判が続くなどしました。産科医の悲痛な声は新聞・テレビでも大きく取り上げられ、「産科医療の崩壊は社会全体で取り組まなければならない問題」であると広く知られるきっかけにもなりました。  大淀病院事件(2006年)は、同院で分娩中に脳出血を起こした女性が19施設に...