1. m3.comトップ
  2. 医療維新
  3. 食糧物資が激減、「患者と共に死ぬかと思った」◆Vol.2

食糧物資が激減、「患者と共に死ぬかと思った」◆Vol.2

レポート 2015年3月13日 (金)  成相通子(m3.com編集部)

南相馬市から移転した渡辺病院 壁のない低いカウンターだけの広々としたナースステーション。中庭に面した壁一面の窓から日の光が差し込み、静かな病棟に積もる埃が浮かび上がる。昨年3月に福島県南相馬市原町区から新地町に移転した医療法人伸裕会渡辺病院は、一般病棟3棟、計140床の急性期病院だ。県内屈指の最新鋭の手術室や、最先端の検査・診断機器、山緑を見渡せる広く明るい病室が印象的だが、患者の出入りで活気があるのは3階の第1病棟まで。4階、5階の第2病棟、第3病棟は空っぽのままだ。 昨年3月に再建された渡辺病院(福島県新地町)にある、「開かずのままの最新病棟」。 渡辺病院は渡辺外科医院として1926年に開設。移転や増築を繰り返し、1989年に旧原町市西町(現南相馬市)に移転後、2011年の震災まで、175床で相双地区の急性期医療と福祉事業を担ってきた。しかし、福島第一原発から30km圏内にあるため、震災発生から1週間後に入院患者を全て転送。その後、スタッフも全員が避難した。同年4月4日に外来のみを再開した時は、看護師は5人だった。廃院の危機を乗り越え、新たに病院を建て直し、入院患者の受け入れを再開...