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終戦で引き揚げ、小倉中学校に◆Vol.3

スペシャル企画 2015年8月3日 (月)  橋本佳子(m3.com編集長)

――終戦が8月。福岡の小倉中学校に転入できたのが、その時の10月頃。引き揚げが大変で、時間がかかった。 父は、最初は朝鮮総督府の役人でしたが、途中で辞めて会社務めをしていた。終戦の時は、出張で今の北朝鮮にいたため、なかなか(当時、住んでいた)京城に帰って来ることができなかった。それで日本に戻ってくるのが遅れたのです。 引き揚げる時、家族の荷物は全部、まとめて京城の業者に頼んで運んでもらうことにした。私たちは、身に付ける物だけを持ち、引き揚げ船に乗り、着いたのは山口県の仙崎港。そこからなぜ父の郷里である福島県の会津に行かず、母の姉が嫁いでいた福岡県八幡市に向かったのか、その理由は分かりません。私たち家族がとりあえず住んだのは、叔父がいた八幡製鉄所の社宅の離れ。ところが、京城の業者に頼んだはずの荷物は一切届かなかった。だまされたのですね。ひどい話です。だから、まさに着の身、着のままの引き揚げでした。 それから住む家を母と捜しました。八幡市内に幸い、小さい家が見つかり、そこに引っ越しました。父は帰国後、八幡市役所に就職でき、母は、お茶を売る商売を始めました。それまで商売などしたことがなく、ど...