インターンを経て「沖中内科へ」◆Vol.7
スペシャル企画
2015年8月7日 (金)
橋本佳子(m3.com編集長)
――高久氏が東大医学部を卒業した1954年は、まだ1年間のインターン制度があった。 インターン制度では、カリキュラムがあるわけではないし、もちろん給料ももらえず。中途半端な制度なので、その後、反対運動が起き、廃止になったわけです。 インターンの1年間は、東大のほか、清瀬の結核病院、それから保健所なども回りました。保健所の中で、一番人気があったのは、浅草の保健所で、私は運よく当たりました。なぜ人気があったのか。それはその保健所の方が、映画とか、ストリップ劇場などに、案内してくれるからです。しかも、無料。でも、3軒目くらいになると、飽きてしまいましたが(笑)。 外科はあまり好きではなく、研修した記憶がありません。もちろん内科は回りました。あとは眼科。ある時、眼科の講師の先生に、「眼科に来ないか」と誘われ、せっかくなので行こうと思っていました。そうしたら、何で知ったのか、九州にいる母から電話がかかってきて、「何科に行くのか」と尋ねるので、「誘ってくれたから眼科に行く」と言ったら、反対された。それで内科に入局することに決めたのです。誘ってくれた講師の先生に、「先生、すみませんが、眼科をやめて、...
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