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血液内科を選んだのは「病理解剖の説明が苦手だったから」◆Vol.8

スペシャル企画 2015年8月8日 (土)  橋本佳子(m3.com編集長)

血液学の道に進んだのは、高久氏を気に入ってくれた指導医が血液内科医だったからだという。「昭和30年、私にもネーベンがつくことになりました。それが高久先生でした。(中略)先生は頭の回転が早く、要領が極めていいので、忙しさの中でも常に余裕があり、総回診の前日などにも苦労をあまりしたことはありません」(東大退官時の『退官記念業績集』、ハウプト(指導医)の衣笠恵士氏)。 衣笠恵士先生(右)と(写真提供:高久氏) それで私は、沖中内科に入局した3年目頃から、血液内科の道を歩むことになるのですが、選んだ理由は極めて単純です。その頃の指導医は、衣笠恵士先生という血液グループの先生でした。沖中先生は、病理解剖に熱心でした。患者さんが亡くなると、「病理解剖をさせていただきたい」と交渉しなければなりません。私はその交渉が嫌だったのです。ご遺族は悲しんでいるのに、またメスを入れるわけですから、普通は嫌がりますよね。 患者さんの病気についてはあまり指導医に相談に行かなかったのですが、もう亡くなりそうとなったら、「自宅でお亡くなりになった方がいいから、患者さんに説明してもいいでしょうか」と相談に行くわけです。衣...