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下宿に戻ると「患者死す」の電報◆Vol.9

スペシャル企画 2015年8月9日 (日)  橋本佳子(m3.com編集長)

――高久氏が沖中内科に入局したのは1955年。 あの頃は技術と言っても、まだ内視鏡などなく、せいぜい心電図やレントゲンがあるくらい。今と比べると大した技術はなく、使える薬も少なかった。抗生物質の種類も限られており、覚えなければいけない知識は少なかった。だから、そういう意味では楽と言えば楽でした。 患者さんと接する時は、自然体でしたね。若い人からも、よくそう言われました。幸い、受け持ちの患者さんで特に変な人も居なかったから、良かったです。私はもともと、あまりいばったりするのは嫌いでした。上の人だからと言って、特に気を遣うこともなければ、下の人という意識もなく、患者さんとも皆、同じように付き合っていました。随分親しく付き合った患者さんが何家族かありました。中には今でも、患者さん本人はお亡くなりになっても、そのお子さんから年賀状が届いたりしています。 ただ今思えば、一内、二内、三内と分かれているのは、あまり良くなかったですね。相互に交流し、ディスカッションする場もなかった。今は、血液内科関連で何かをやる場合は、昔の一内、二内、三内で血液をやっていた人が集まる。けれども、「三内の同窓会」がまた...