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東大紛争、研究室も封鎖される◆Vol.13

スペシャル企画 2015年8月13日 (木)  橋本佳子(m3.com編集長)

――米シカゴ大学の留学から、東大第三内科に戻ってきたのは、1964年のことだ。1960年代後半は、「東大紛争」が巻き起こった時期だ。 高久氏の東大退官時の「業績集」に、高久氏の前任の小坂樹徳氏(1972年から1982年まで東大第三内科教授)は次のようにつづっている。「荒れ果てた東大医学部はまさに想像を超えるものでした。何年も続けられたはげしい定員削減、誇りを失った職員の無気力、考えを異にする一部の人達との団交やなだれ込みによる教授会の混乱、数年にも及んでいた新人の入局拒否、外来患者や病床の半減による臨床フィールドの著しい減少、積極的な投資がなされないままの研究室の荒廃と研究活動の低下……」 東大紛争時、研究室の確保もままならない中、血液関係の研究を続けたという(撮影:的野弘路) 東大に戻った頃、全共闘の学生によって研究室が封鎖されたりするなど、東大紛争の真っ只中でした。製薬企業にお願いして研究室を借りたり、千葉大学から来ていた研究生がいたので、千葉大の研究室を利用させてもらったりして、研究を続けました。病棟にあったトイレを改装し、組織培養室として使っていたこともあります。 それでも、苦...