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医局長就任、自治医大の設立準備も◆Vol.14

スペシャル企画 2015年8月14日 (金)  橋本佳子(m3.com編集長)

「大学の設立準備には、高久教授はうってつけだった。ぼやきの高久、という仇名があり、ぼやきながらいろいろと仕事をするところがあった。ぼやくというのは、嘆くとは少し違っていて、ぼやいている事柄について批判している。またぼやくことにより、現実と妥協しているところもある」(『退官記念業績集』、東大同期の吉田尚氏) 「人を的確に評価し、適材適所夫々の部門に有能な多くの協力者を探し集められた能力をまず挙げなければならない。広く人の意見を聞き、全体の意向を把握して衆議をまとめ、企画に生かして決めていく均衡感覚の鋭さは抜群」(『退官記念業績集』、東大後輩の細田瑳一・東京女子医科大学名誉教授) 私自身は1971年4月に、東大第三内科の医局長になりました。しかも1年後には中尾先生と一緒に自治医大に行くことを決めており、医局長の仕事と、自治医大の設立準備を並行してやっていました。開校は1972年と決まっていたので、準備期間は1年しかなかった。医局長の仕事と自治医大の教授のリクルートの仕事がありましたから、自分では研究が時間的に難しくなりました。 自治医大の場所は、今の防衛医科大学がある所沢と、今の栃木と、2...