1. m3.comトップ
  2. 医療維新
  3. 東大教授、背中を押したのは「占い師」◆Vol.16

東大教授、背中を押したのは「占い師」◆Vol.16

スペシャル企画 2015年8月16日 (日)  橋本佳子(m3.com編集長)

――自治医大教授を1972年から10年間、務めた後、1982年に東京大学の第三内科に就任した。 「昭和30年代の東大沖中内科教室では、血液組はむしろ冷や飯組で、深夜まで1研の片隅で2人でボソボソとやっていた当時の高久先生が、東大第三内科の領袖になるとは、予想もしないことであったが、常に明るく、倦まず休まず、高ぶらず新しい分野の研究業績を重ねられたこと、常に先輩、同輩、後輩から一様に信頼され、慕われたお人柄を思えば、世に優れた人材を見抜き、育てる風潮がいまだ残っていることを喜ぶべきであろう」(『退官記念業績集』、東大第三内科で一学年下の平嶋邦猛氏)。 東大の第三内科の教授は、中尾先生の後、糖尿病がご専門の小坂樹徳先生をされていました。その後に、私が教授になったわけですが、教授選に当たっては、手を上げるかどうか、正直迷いました。 (自治医大学長の)中尾先生からは、「自治医大に残ってくれ」と慰留されました。他の方からも、残るよう言われました。結局、20人の先輩の医師などに聞いたところ、「残った方がいい」と言う人が10人、「やはり東大に行くべき」という人が10人。生まれて初めてですよ。20人も...