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保守的な東大、助手選考も見直す◆Vol.17

スペシャル企画 2015年8月17日 (月)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1982年から自治医大教授から東大教授に就任した高久氏。当時の東大はどんな状況だったのだろうか。 1982年の頃の東大は、いろいろな意味で保守的でしたね。まず研究分野ですが、癌や免疫の研究をほとんどやっていなかった。一方、関西では、免疫学では、山村雄一先生(元大阪大学総長)や岸本忠三先生(元大阪大学総長)などが、先駆的に取り組んでおられた。白血病は名古屋大学の先生が研究されていた。内科系の研究は「西高東低」だったわけです。この状況を変えるためには、当時、アメリカで始まっていたモレキュラー・バイオロジー(分子生物学)を、内科学の研究に積極的に導入するしかないと考えた。特に血液学の研究には、応用しやすいと考えた。そこで組織も体制も変えました。 沖中先生の時代とは異なり、神経内科は既に第三内科から独立した講座になっていました。したがって、第三内科で神経の研究している人はほとんどいなくなっており、倉庫みたいな広い部屋が空いていました。そこを改装して、モレキュラー・バイオロジーの研究ができるP2レベルの部屋を作り、平井久丸君にチーフになってもらい、若い優秀な人をたくさん集め、数多くの研究成果...