1990年東大退官、英文の論文は562◆Vol.19
スペシャル企画
2015年8月19日 (水)
橋本佳子(m3.com編集長)
もちろん、第三内科として、日々の臨床も担当していました。ただ、当時の病院の建物は、古かったですね……。個室でも隣の部屋の電話の声が聞こえる状態でしたから。 東大退官時に医局員に贈った益子焼の皿(写真提供:高久氏) それから、「富士研」に行った時代から、医学教育の重要性を認識しており、力を入れました。学生が好きでしたから。日本医学教育学会の会長や運営委員なども務めました。東大を定年退官した後、国立国際医療センター病院(現国立国際医療研究センター病院)の院長になりましたが、優秀な研修医がいても、学生がいなくて、少しさびしい思いをした記憶があります。 東大時代は講義もしたし、毎週の臨床実習の最後の報告会には、必ず出ていました。学生自らが学んだことをプレゼンテーションして、試問をして成果を見る。そのやり取りは興味深かったですね。 当時の医学生は、いろいろなタイプの人がいたけれど、皆、やはり優秀だったと思う。今基礎に行く人が減っていると聞きますが、当時も最初から基礎に行く人はそれほど多くはなかった。まずは臨床に取り組み、そこで疑問があれば、並行して研究に取り組む。そこでさらに面白くなって、基礎研...
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