1. m3.comトップ
  2. 医療維新
  3. 国立国際医療センターで厚生省とのパイプ作り◆Vol.20

国立国際医療センターで厚生省とのパイプ作り◆Vol.20

スペシャル企画 2015年8月20日 (木)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1982年の東大教授就任時、「本当に忙しくなるのは、東大を定年で辞めた後」と言われた高久氏。実際はどうだったのだろうか。 より忙しくなったということはなかったと言うか、忙しさは変わらなかったですね。国立病院医療センター(現国立国際医療研究センター)には、1990年から計6年おり、最初の1年は東大教授と併任していました。 (当時、自治医大学長だった)中尾先生からは、「早く自治医大に戻ってくれ」と言われていた。それでも、医療センターに行ったのは、厚生省に顔をつないだ方がいいという考えから。自治医大の卒業生は、卒業すると、義務年限を果たすために、出身地の都道府県に行く。県の衛生部長は厚生省から出向している人が多い。だから、中尾先生には申し訳なかったけれど、「5年くらい厚生省の病院の院長をやってから、行きます」と言いました。 東大教授時代は、少しは患者さんを診ていましたが、医療センター時代は、全く患者さんを診ませんでした。それまでの院長は、自分で外来もやっておられた。副院長に僕の同級生がいて、「外来はやらない」と言ったら、「それは良かった。外来の部屋を作る必要はない」と言われた(笑)。 医...