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特攻直前、「手術を代わってやれず、後悔」◆Vol.2

スペシャル企画 2015年8月23日 (日)  高橋直純(m3.com編集部)

戦艦「大和」の出撃は実は一見無謀の出撃に似て、その実、終戦とその後の民族復興のための祭壇に備える(原文ママ)帝國海軍、最後の悲しい供物の一つであった。 『「雪風」からみた「大和」の最期』より引用 佛坂泰治氏、93歳まで現役続ける 1945年4月6日、当時25歳だった佛坂泰治氏は、駆逐艦「雪風」の軍医長として、戦艦「大和」に随伴し沖縄に向かった。特攻出撃だった。 出撃準備命令が出されたのは3月24日。25日から4日間は上陸許可が出た。交代で上陸することになったが、ある軍医は自分の上陸時間に盲腸炎患者が発生し、手術のため上陸できなった。旅館には18歳の新妻が待っていたが、最後の別れを告げることができなったという。佛坂氏は著書の中で、「新婚生活、僅か二日。私は、黒田秀隆軍医長と「大和」の軍医長室でウイスキーの角瓶を飲んでいた。手術を代わってやれなかったのが、悔やまれてならない」と記す。 傷口にタオル詰めるよう指導 4月7日、握り飯の戦闘食を食べ終わろうとした12時半ごろ、敵襲が知らされた。佛坂氏は士官室を戦闘治療所にして待機した。3000人を超える船員がいた「大和」には7人の軍医がいたが、乗...