1. m3.comトップ
  2. 医療維新
  3. 「ピッチャーで4番」野球少年から慶應高校◆Vol.2

「ピッチャーで4番」野球少年から慶應高校◆Vol.2

スペシャル企画 2015年9月2日 (水)  橋本佳子(m3.com編集長)

――北島氏と言えば、野球。慶應医学部時代は、野球に明け暮れたが、小学校時代から野球少年だった。 当時は、「青バット、赤バット」が全盛の時代。巨人軍の川上哲治に憧れ、私も赤バットを買ってもらいました。小学校時代は、特にクラブなどには所属していなかったけれど、野球好きが集まりクラス対抗戦があり、毎日野球をやっていた。私はピッチャーで4番でした。 中学校時代はあまり野球はやっていなかったけれど、慶應高校に入って、草野球ですが、また野球を楽しんでいました。各クラスでチームを作り、多摩川沿いの野球場で良くやっていました。その球場代は、負けた方が払うのです(笑)。 たまたま私のクラスに、高橋君という、慶應高校の硬式野球部のキャッチャーがいた。その1年下に渡辺泰輔君という、すごいピッチャーがいたのです。渡辺君が2年生、高橋君が3年生の時に、甲子園に出場しています。その高橋君から、私の草野球を見ていたのでしょう、野球部に入るよう勧められたけれど、医学部に入りたいという思いもあり、その誘いは断りました。私がもし野球部に入っていたら、甲子園に行き、また人生が変わっていたかもしれません。 渡辺君は、その後、...