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国試合格率に苦労も、臨床と研究に邁進◆Vol.14

スペシャル企画 2015年9月14日 (月)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1977年9月から1991年4月の杏林大学時代、苦労したのが、医師国家試験の合格率。医学生を集め、スモールグループを作り、国試対策も随分やったという。 国家試験への対応は非常に苦労しました。合格率が低いと、外来患者さんがごそっと減ってしまったり……。相馬先生が、「子供が、学校で、『なぜお父さんの大学の合格率は低いんだ』と言われている」と嘆いていました。 国家試験の合格率が、全国で下から2番目になった、ある年。合格発表からしばらくして、私の実験成果が、テレビで取り上げられ、放映されていた。ある夕方、理事長の松田博青先生から呼ばれ、理事長室を尋ねたら、先生が窓の外を見ながら、座られていた。「先生、どうしたんですか」と聞いたら、「君に救われたよ」と。「何がですか」と尋ねたら、「国家試験の成績は悪かったけれど、君のテレビで救われたよ」と言われたこともあります。 ――研究面では、当初はスタッフも少なかったが、研究成果を重ね、教室の魅力を高め、徐々に入局者を増やしていった。 ハーバード留学時代から引き続きストレス潰瘍に関する研究に取り組んだほか、MNNGという化学物質を使った発癌実験も始めた。...