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人生二度の「しゃあないな」で進路変更◆Vol.1

スペシャル企画 2015年10月1日 (木)  橋本佳子(m3.com編集長)

大阪大学と言えば、日本の免疫学研究の拠点。その礎を作ったのが、情報伝達物質であるIL-6の発見で、世界的に有名な岸本忠三氏だ。IL-6から生まれた関節リウマチ薬の売上は、今や全世界で1000億円を超える。 臨床と基礎を行き来しながら、画期的研究を続け、大阪大学第三内科教授、医学部長、総長などを歴任した岸本氏は1939年生まれで、76歳になった今もなお、現役の研究者だ。「僕は、弟子と今でも競争している」と語る岸本氏。「何でやろ」という素朴な疑問が、研究の原動力だ。 岸本氏の「私の医歴書」をこの10月、計18回の連載でお届けする。 ――岸本氏は、人生の中で、「しゃあないな」という言葉で、進路を見直したことが、2回あるという。一度目は、高校時代。大学進学に当たって、物理を専攻したいと考えていた時だ。「しゃあないなあ」と言ったのは、父親だった。 岸本忠三氏は今の阪大に研究室を持つ(写真:近藤宏樹) 子供時代は、野口英世博士の伝記を読んで、「医者になりたい」と考えていた。そんな頃、湯川秀樹博士が1949年にノーベル物理学賞を受章した。素粒子に関する博士の研究内容は、当時は理解できるはずはなかった...