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人生の重要な選択は「師と配偶者」◆Vol.3

スペシャル企画 2015年10月5日 (月)  橋本佳子(m3.com編集長)

――阪大入学は、1958年4月。当初から臨床医ではなく、研究者を目指していたという。 最初の2年間は教養部で、1960年から医学部。医学部は当時、大阪の中之島にあった。無事合格したのはいいが、解剖学をはじめ、基礎の講義は、多くが暗記ばかりで、機械的に医学用語を覚えていくのが苦痛だった。その中で、唯一、興味を持ったのが、遺伝学の大家だった吉川秀男先生の講義。 ワトソンとクリックが、DNAの二重らせん構造を発見したのは、1953年。その後、3つの塩基配列で、1つのアミノ酸をコードすることなど、分子生物学の分野では、さまざまな発見が相次いでいた。最新の研究成果を交えながらの吉川先生の講義は、もうワクワクして聞いていた。それで、僕も、分子生物学の研究者を目指すようになった。学生時代、夏休みなどに微研(大阪大学微生物病研究所)に行って、研究などもしていた。 医学部の友人たちと。1963年撮影、右端が岸本氏(提供:岸本氏) ――医学部5年生の時に受けた講義が、岸本氏の運命を決めた。免疫学の第一人者、山村雄一教授の講義だ。 臨床講義が始まっても、暗記中心で、退屈なものが多かった。内科の講義でも「肝硬...