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独創的なアイデアの基は“議論”◆Vol.5

スペシャル企画 2015年10月10日 (土)  橋本佳子(m3.com編集長)

――岸本氏が、ジョンズ・ホプキンス大学の石坂公成教授の研究室に留学した1970年は、まさに免疫学の本格的な幕開けの時期だった。 日本と米国の研究環境は全く違った。試験管やピペットは全て使い捨て。当時の日本では全部洗って、もう一回、使っていた。 免疫に関しては、Tリンパ球とBリンパ球が関係することまでは分かっており、それぞれのリンパ球がどんな働きをしているかを、研究者たちは競って研究していた。そんな1971年にワシントンで開催された国際免疫学会の第1回会議は、とても盛り上がっていた。 石坂研究室では、土日曜日も研究する日々だった。1972年撮影(提供:岸本氏) われわれが立てた仮説は、「Bリンパ球が抗体を産生するには、Tリンパ球が出すファクターが必要」というもの。 この仮説を立証するため、月曜日には、さまざまな細胞を基にTリンパ球の培養液を作り、Bリンパ球の培養液に加え、金曜日にハーベストして、抗体産生を測るという研究を、毎週繰り返した。その結果を基に、週末はいつも石坂先生と2人でディスカッションする日々。先生は、土日曜日も研究室にいたから、僕も行かないわけにはいかなかった。でも、喧々諤...