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ピンチ屈せず、IL-6をついに発見◆Vol.7

スペシャル企画 2015年10月12日 (月)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1978年の夏、3年間通い続けたスローン・ケタリングがん研究所から移籍の話をもらう。 やはり当時の日米の研究環境の違いを考えると、魅力的な話だった。山村先生と両親に相談したところ、父が山村先生に、「一人息子がアメリカにいたら、私の葬式は誰が出すねん」と、引き止めを頼んだ(笑)。そこで山村先生が僕を引き止めるため、一計を講じた。当時、阪大医学部では、修士課程を新設しようとしていた。山村先生は、僕をそこの教授にしたわけ。僕は「大阪を離れよう」と思ったのは、二度ある。一度目がこの時。二度目が先にも触れた1990年にハーバード大学の教授に呼ばれた時。 細胞工学センターの創設メンバーらと。右端が岸本氏(提供:岸本氏) ――1982年、大阪大学は生命科学研究の拠点として、細胞工学センターを創設。岸本氏は同センターの教授に就任した。 1970年代後半から、免疫学の分野でも、細胞免疫学の時代から、分子生物学や遺伝子工学の手法を駆使する時代へと発展していった。 細胞工学センターの初代センター長は、「細胞融合現象」の発見で知られる細胞工学のパイオニア、岡田善雄先生。センターには、松原謙一先生、谷口維紹...