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自分より偉い人、排斥するな◆Vol.10

スペシャル企画 2015年10月17日 (土)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1997年から2年間、阪大医学部長を務めた。その際、心がけたことは、出身大学を問わず、気鋭の研究者を呼び寄せることだった。 阪大細胞工学センターのメンバーと。右端が岸本氏(提供:岸本氏) もともと阪大は、他の大学から優秀な人材を集めることに熱心だった。免疫学の分野で言えば、本庶先生。彼は京大出身で、アメリカに留学後、東大で助手をしていたけれど、阪大で遺伝学の教授を決める時、声がかかった。IFN-βの遺伝子を世界で初めて同定した谷口維紹先生もそう。彼も阪大出身者ではないですが、1984年に細胞工学センターの教授になった。その前はがん研究会におり、山村先生が東京に行き、当時の菅野(晴夫)所長に頼み込んだ。東京の「吉兆」に菅野先生をお呼びして、山村先生が下手に座って両手を畳について、「お願いがあります」と言ったという。菅野先生は「もうそれで断れなかった」と。 長田重一先生(東京大学出身)も、阪大のバイオサイエンス研究所研究部長から、1995年に阪大医学部に招いた。岡野(栄之)君(現慶應義塾大学医学部長)もその1人。慶應出身で、筑波大学にいた時、阪大の神経機能解剖学研究部の教授の公募に手を...