「将来は家業を継がず、医師になる」◆Vol.2
スペシャル企画
2015年11月2日 (月)
橋本佳子(m3.com編集長)
――虚弱だった子供時代。自身の病気や病院通いの体験を通じて、次第に医師を志すようになった。 幼少の頃(提供:井村氏) 八日市小学校に入ってからも、よく休みました。乳幼児の死亡率は2割弱くらいの時代ですから、周囲の人たちは、「10歳までもたないのでは」と言っていた(笑)。柔らかいボールを使った野球やこま回しが遊び。極端に下手ではないけれども、決してうまくない。走らせても普通ぐらい。学校の成績は良かったけれど、少し「頭でっかち」なのが嫌だったという記憶はあります。 小学4年生の時には微熱が続き、「小児結核ではないか」と診断を受けて、学校を4カ月休みました。治療法がない時代なので、陽だまりにこたつを置いて、母が買ってくれた三省堂の小学百科事典や、叔母が送ってくれた日本の歴史シリーズを読みあさっていました。 八日市にあった病院をよく受診したのですが、その待合室に、全身の人体模型がありました。前の部分が開いていて、心臓や肝臓など臓器の位置が分かる。当時は感染症が多いですから、いろいろな細菌の模型もありました。病院には、病気の人がたくさんいる。人体模型は面白い。それで、いつ頃かははっきりしませんが...
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