論文を書き留学終える、面目保つ◆Vol.10
スペシャル企画
2015年11月10日 (火)
橋本佳子(m3.com編集長)
――1963年11月、当初の予定より約半年遅れながら、アメリカ留学を果たす。 カルフォルニア大学のForsham教授は、内科の教授ですから、「せっかくアメリカに来たのだから、まず臨床を診なさい」と言われ、最初の3カ月間ぐらいは、外来に出たり、教授の回診に付いていったりと、臨床だけをやっていました。今は分かりませんが、当時のカリフォルニア州には、「テンポラリーライセンス」があり、6カ月間は患者を診ることができたのです。父親が亡くなったばかりであり、1年くらいで帰国するつもりだったので、早く研究をやりたいとの思いもありましたが、アメリカの臨床を診たのは意義がありました。 研究を始めたのは、1964年の3月頃からです。インスリンのラジオイムノアッセイをやっていたのは、Forsham教授の下にいた、Grodsky准教授です。「まず、同じ方法でやってみろ」と言われたので、ACTHに対する抗体を作成し、インスリンと同様の方法でラジオイムノアッセイ系を作ろうとしたのですが、どうしてもうまくいかない。彼は、「できるはずだ」と言うのですが、できない。ある方法を思い付き、Grodsky准教授は、最初は難色...
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