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京大に戻るも、大学紛争で研究中断◆Vol.13

スペシャル企画 2015年11月13日 (金)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1964年2月、約1年3カ月の留学を終え、京大第二内科の助手に戻った。 当初から留学は1年の予定で、三宅教授からも「帰ってこい」と言われた。父親の死亡後の後片付けも気になったので、Forsham教授に「帰りたい」と言ったら、「どうして帰るんだ。日本に帰ったら、月給はどれだけか」と聞かれました。留学前は約3万円。1ドル360円の時代ですから、3万円は100ドルにもならなかった。恥ずかしいので、2倍の額を答えました(笑)。そうしたら、「その3倍ぐらい出すから、残らないか」と言われたのですが、いろいろな事情を申し上げて、理解していただきました。 1964年2月に帰国後、京大の第二内科の助手に復職し、臨床と研究の日々がまた始まりました。その年の4月に日本内分泌学会で、留学の成果を話す機会があり、当時の最新データでしたから、非常に評価され、その後、いろいろなところから講演依頼が来ました。 その時、思ったのは、「研究者として、どうすれば“一人前”と言えるのか」ということ。アメリカでは割とはっきりしていて、「テニュア」(tenure)、終身雇用の保障制度があるのです。大学が論文等を評価して、終身...