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京大教授に就任、大学紛争の名残で苦労◆Vol.16

スペシャル企画 2015年11月16日 (月)  橋本佳子(m3.com編集長)

――当初は予算もなく、立ち上げに苦労した神戸大教授。5年間半、務め、1977年に京大第二内科の教授に就任する。 京大第二内科の教授は、私が入局した時は三宅教授、その後、免疫学が専門の深瀬政市教授に変わりました。深瀬教授が定年より1年くらい早く辞められ、当時の島根医大の学長に就任されることになり、「急きょ、教授選をやるから出るように」と言われたのです。 神戸大に行った直後は苦労しましたが、次第に研究成果が出て、軌道に乗ってきていたので、教授選に出るかどうかは迷いましまた。仕事もしやすくなっており、若い人が一生懸命にやってくれていた。一方で、京大は私の母校であり、第二内科は私を育ててくれた教室でもある。次第に国際学会関係の仕事が増えていたので、その点では京大の方がいろいろな面でやりやすいという事情もありました。既に引退されていた三宅先生からも出るように言われ、かなり悩み抜いた上で決心をしました。京大に戻ったのは、1977年4月です。 ――京大から、5年半離れていて、戻ってきた井村氏。まだ大学紛争の影響が残っていたという。 神戸大に行く前は、ほとんど研究ができない状況だったので、それよりはよ...