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科学技術会議の議員「改革のチャンス」◆Vol.25

スペシャル企画 2015年11月25日 (水)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1997年12月に京大総長を辞め、1998年4月に神戸市立中央市民病院の院長に就任した。 ところが、1カ月もしないうちに、文部省から電話がかかってきて、「文部大臣が会いたがっているので、次に東京に来たら寄ってほしい」と。何のことかなと思って、上京した際に文部省に行ったところ、事務次官が出てこられて、「先生にやってもらいたいことがあります。お断りいただくと大臣に傷が付きます」と言われてしまった。科学技術会議(現総合科学技術・イノベーション会議)の議員をやってもらいたい、という依頼でした。 1998年当時の科学技術会議の議員は、総理が議長、当時の大蔵大臣、文部大臣、科学技術庁長官、日本学術会議会長の議員で、その内諾が必要でした。それで「文部大臣が根回ししたので、先生にお断りしてもらったら困ります」と頼まれたのです。でも、私は既に神戸市立中央市民病院の院長を引き受けていたので、「ちょっと考えさせてください」と言いましたが、「これは断れないだろうな」と思いました。 断れないと思った理由の一つは、京大総長時代、日本の国立大学、特に旧帝大の施設が非常に老朽化していることを痛感していたこと。戦後...