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実家は「お菓子屋さん」、戦争の記憶も◆Vol.4

スペシャル企画 2015年12月4日 (金)  橋本佳子(m3.com編集長)

――久道氏は、1939年1月3日、宮城県涌谷町で、菓子製造販売業「久道家」を営む家に、次男として生まれた。 涌谷町は、仙台から約40~50キロ北にある田舎町で、当時の人口は1万5000人くらい。涌谷町は昔、大伴家持が「すめろぎの御代栄えむと東なるみちのく山に黄金花咲く」と詠ったほど有名な金の産地でした。天平21年(749年)、東大寺大仏造営のために金を献上し、この地が日本初の金の産地となり、年号が「天平感宝」と改められています。 町内には、15世紀前半に築造したと伝えられている涌谷城跡を整備した城山公園があります。その後、涌谷伊達氏の祖である亘理重宗が、この場所を居城としたのは、天正19年(1591年)とされています。そんな歴史のある町です。 父は静治、母はきさの、と言います。1939年と言えば、第二次世界大戦が勃発した時期。お菓子屋を営んでいましたが、お菓子の原料である砂糖や小麦粉がほとんどなく、商売が成り立たなくなってきていました。私の記憶では、父が小説などを読むことが好きだったこともあり、本屋も兼ねており、『蛍雪時代』といった雑誌も売っていた。さらに、本も売るのだったら、学生が使...