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「がんの疫学のメッカ」を目指す◆Vol.18

スペシャル企画 2015年12月18日 (金)  橋本佳子(m3.com編集長)

――学生の講義は、最初は苦労したが、途中から採用したのは「少人数」形式の講義。 公衆衛生の講義は、専門課程の2年目、つまり医学部4年生が対象。1981年8月1日に辞令をもらって、秋口から講義を始めなければならかった。学生相手に講義などをした経験はなく、アメリカの教科書などを使い、苦労しました。 ただ、講義では、初めの頃は出欠を取らなかった。「出欠を取らなければいけないほど、講義が下手」と言われるのが、癪だったから。その代わりに、これは教授になって数年経ってから始めたことですが、必ず前の席に座っていた6人を対象に、質疑応答を繰り返した。1回当てた学生は、その学期は当てず、かつ2回出席したことにする。つまり、次回以降の講義では、別の学生を当てる方式にしたのです。 少なくとも1回の講義で、6人は目を開けて私の講義を聞いて答える。学生たちの名前は、その場で、すぐにメモして「アイザワくん、お前はどこ出身だ」などと切り出し、質疑応答した。暗い部屋で、スライドを使って講義すると、みんなガーッと眠ってしまうので、滅多にそういうことはせず、プリントを遣っていました。6人以外の学生は寝ていてもいいわけです...