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定年後、「仙台市長」の話も浮上◆Vol.24

スペシャル企画 2015年12月24日 (木)  橋本佳子(m3.com編集長)

――東北大学の医学部の場合、定年後の就職先を探すなどの準備ができるよう、定年の1年前に医学部長を辞めるのが通例だった。 当時の医学部教授は、40人前後。多い場合は5人、大抵は3、4人が毎年定年退官していました。最後の1年間は、「自分の身の振り方と教室のいわゆる後継者のことをきちっと考えて整理する期間として必要」というのが通例でした。 実を言えば、私の場合、退官する1年ほど前の2001年の初め頃、「仙台市長選挙に出ないか」という話がありました。当時の仙台市長が、藤井黎(はじむ)さん。選挙はその年の夏で、その半年くらい前に眼底出血を発症し、「これじゃ、市長職やれないんじゃないか」と自信をなくされてね。藤井さんは、もともと教育者で、その関係で当時の東北大学の阿部博之学長に相談したところ、私が候補に挙がったようです。 お誘いを受けた時は驚きましたが、仙台市の市政は、ごみ処理場の焼却炉の建設、地下鉄の延伸、青葉城の隅櫓の再建など、問題が山積していました。隅櫓は、創建後に作られた石垣の上にできたもの。美観的にはいいけれど、元に戻そうとする歴史家の意見も出て、論争になっていました。 私もそうした問題...