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「九大医学部」希望に担任あきれる◆Vol.3

スペシャル企画 2016年1月6日 (水)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1957年、長崎市内の長崎県立東高等学校に入学。親元を離れ、下宿生活を始める。 中学校の1学年の半分くらいは、集団就職する時代。毎年3月になると、船で名古屋などの就職先に向かう人を、私たちは見送りに行っていました。高島(水田氏が中学時代を過ごした長崎の離島)で、就職できるのはごく一握り。炭鉱夫になった人もいるね。昼間は島の売店で働いて、夜は島にあった長崎県立長崎西高等学校(夜間)に通っていた人もいました。 そんな中、私は「お医者さんになる!九大に行く!」としか、考えていなかった(笑)。中学校時代の成績も、ほぼいつも1番。苦労して受験勉強した記憶はなく、勉強が好きだった。テレビはない時代ですから、勉強以外は本を読むくらい。それでも、受験勉強はしましたよ。朝と夕方、1時間ずつ課外授業があった。 私が進学したのは、長崎県立長崎東高等学校。高島の中学校からは毎年7、8人が合格した。長崎西高等学校にも、7、8人くらい。あとは、女子は活水や純心など、男子は海星などの高校に進学した。 長崎東高校は、長崎市内にあるから、高島からはとても通えない。高島から進学する学生は、市内で下宿か寮の生活。2歳の...