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インターン闘争時代、立川米軍病院で研修◆Vol.6

スペシャル企画 2016年1月9日 (土)  橋本佳子(m3.com編集長)

――3年になり、専門課程に進学してから、入会したのが、「英語で医学を学ぶ会」。 1966年3月九大医学部卒業、両親とともに(提供:水田氏) 中学校時代から、英語が好きだったからね。でも今と違って、英会話学校などはない。「Far East Network」を聞けたくらい。それで入会したのが、「英語で医学を学ぶ会」。当時は福岡に板付基地があり、そこの小さな病院のドクターたちが、月に1回、九大の「英語で医学を学ぶ会」に来て、例えば、胃がんや大腸がんの手術などの医学動画を上映し、学生たちにアメリカ医学などについて説明してくれた。今は山ほどあるけれど、当時はそんな動画を見ることができるチャンスはあまりなかった。夏休みや春休みには、朝7時から始まる回診に一緒に回るため、朝5時の汽車に乗って、板付基地まで行きました。 ――何時ごろから、小児関係、中でも小児外科を目指すようになったのだろうか。 小児外科とは、決めていなかったけれど、「子どものお医者さん」というイメージはありましたね。それは子供が好きだったから。本当に子供はかわいい。 医学部4年頃は、板付基地も縮小されてきたので、あまり行かなくなり、そ...