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「一生続くわけではない」と苦労乗り越える◆Vol.8

スペシャル企画 2016年1月11日 (月)  橋本佳子(m3.com編集長)

――今は、外科に進む女性医師は少なくないが、当時は、「女性に外科医は無理」とのイメージがあったという。 1967年当時は、医局側に「女性はお断り」の雰囲気があった。「どうせ、結婚すれば辞めるでしょう」と。第二外科には1学年上に女性が一人いたくらいで、私の同期には女性はいません。女性用の当直室などは夢のまた夢で、そんなことを要求すれば、絶対的に男性優位の社会では「退局しなさい」と言われかねない雰囲気。そのためにエネルギーを使うのも、もったいなく、呼ばれたらすぐに対応できるというメリットもあり、医局のソファで寝ていた。何かある度に、「一生続くわけではない」と考え、乗り切った。 当時の第二外科は、胃、食道、肝臓などのグループに分かれ、私は小児外科に入った。けれど、最初は外科全般のトレーニング。九大で、一般外科の初期トレーニングを受け、麻酔科を3カ月ローテーションした後、小児外科グループは当時、小児外科のメッカだった、東京・墨田区の賛育会病院に出張するのが習わして、私も1967年10月から行った。賛育会病院には、駿河敬次郎先生(順天堂大学小児外科の初代教授)という有名な小児外科医がいたのです。...