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学位取得、九大第二外科初の女性助手に◆Vol.13

スペシャル企画 2016年1月16日 (土)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1970年4月、2年間の留学を終え、九州大学の第二外科に戻る。 大学紛争が一応、収束したとはいえ、その後遺症が残っており、大学にはとげとげしい雰囲気があった。とはいえ、大学紛争で、人がいなくなっていたため研究室は十分に広く、私は大学院生として、乳幼児の周術期の輸液に関する研究を始めた。 成人では、ブドウ糖を輸液に使っていた時代から、ようやく細胞外液に関する研究が盛んになってきたけれど、輸液をしすぎて、今度は肺に水がたまったりするなど、試行錯誤を重ねていた。輸液の手法が進展したのは、ベトナム戦争時代。小児についての研究は成人より遅れ、「何もやらなくてよい」とされた。小児が術後死亡するのは、「子どもは体力がないだけ。死亡するのは、子どもが悪い」とも言われ、小児用の点滴などの器具もなかった。手術侵襲に伴う体液変動の研究は、日本はもちろん、欧米でも少なかった。 私はイギリス留学時代も脂肪乳剤を使った末梢静脈からの栄養輸液を経験していたので、この分野に関心を持っており、乳幼児においても、細胞外液のThird Spaceへの移行が認められること、術中輸液として細胞外液の組成を含む輸液が必要であ...