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女性の教授、「全うしなければ」と覚悟◆Vol.14

スペシャル企画 2016年1月17日 (日)  橋本佳子(m3.com編集長)

――その後、1983年10月から、1986年3月まで、福岡市立こども病院の外科部長に就任する。 こども病院は女性医師が多かったし、「九大のころから小児外科には、水田先生がいる」というのは、みんな知っていたので、やりやすかった(笑)。こども病院は、その3年前に開設されたばかりで、活気にあふれ、患者さんも多く、この2年半は、臨床一筋に一生懸命働いた。 子ども病院は、大学病院と比べると、規模が小さい分、横のつながりが強く、内科、耳鼻科、眼科などと連携してできたので、その意味でも、やりやすかったですね。 福岡県の女性医師たちが、教授就任の祝賀会を開催(提供:水田氏) ――子ども病院で臨床一筋にやっていた頃、九大小児外科に、今度は助教授として呼び戻される。1986年4月のことだ。助教授就任は、突然のことだったという。 医局長に、ある日、「書類を出してください」と言われた。何のことかと思ったら、「池田教授が、九大に戻れと言っている」と。教授のところに行き、「私は何も聞いていませんが……」と尋ねたら、「何か不満か」と教授。「どんなポジションですか」と念のために聞いたら、「助教授と決まっている」との返...