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かろうじて卒業も、1年は「遊学」◆Vol.6

スペシャル企画 2016年2月6日 (土)  橋本佳子(m3.com編集長)

――名大医学部時代、最後の難関となったのが、卒業試験だ。 6年生の時の柔道部の最後の七帝戦で優勝できなかったショックは大きく、なかなか立ち直れなかった。けれど、卒業しなければいけなかったので、8月以降は集中して勉強をやった。それまで授業をさぼって、試験前だけ、お互いの家を順番に泊まり込んで勉強していた「合宿組」の同級生たちにも言っていたけれど、「名大は、国立大学。俺達は税金で養ってもらっているんだ。だから留年することは、絶対に許されない。卒業して責任を果たさなければいけない」と考えていたから。 僕は柔道の傍ら、中学生3~4人を相手に、家庭教師をしていた。先輩からバトンタッチしたアルバイトで、練習が終わってから、あるお宅に行き、そこで教えていた。6年生の夏休みには、「合宿やろうか」と言って、山の民宿に泊まり、中学生たちを教えながら、自分の勉強をしたりもした。 自分なりに勉強を重ねて卒業試験を迎えたけれども、外科と歯科口腔外科がダメだった。大学紛争の時代だから、教授が退官しても、教授選が行われず、1969年3月に名大を卒業する頃、臨床系の講座で教授がいたのは、整形外科、耳鼻咽喉科、産婦人科...