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「野戦病院」で医師の基礎を築く◆Vol.7

スペシャル企画 2016年2月7日 (日)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1969年4月からの卒後1年間は、柔道にまい進した後の“燃え尽き症候群”で、ほとんど研修せず、柔道やスキーばかりしていた。 でもヨーロッパに行く前の頃からかな、さすがに「もう、医者をやらないといかんな」と思って、病院探しはしていた。同学年で1年間、遊んでいたのは、僕だけ。卒後2年目になって初めて研修先として選んだのが、愛知県安城市にある八千代病院。当時は、周囲は田畑ばかりの田舎の病院で、規模も約200床と小さい。名大卒の研修医が、八千代病院を選んだのは、僕の1年上の1968年卒の先輩が初めて。高校時代は相撲でインターハイに出て、片男波部屋から声がかかったくらいの体育会系(笑)。その先輩が、「俺のところに来い」と声をかけてくれた。 その先輩と、八千代病院の外科部長の佐藤太一郎先生と一度、3月頃、寿司屋に誘われ、説得を受けた。八千代病院は医師が少なかったので、僕のような何もできない医師でもよかったのだろう。それでも僕は、「1カ月間、大学病院で麻酔科を1カ月間、研修してから行かせてください」とか、いろいろ言い訳を作り、ようやく八千代病院に行ったのは、5月9日。もっとも、「麻酔科で研修」は...