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卒後6年目、名大第一外科に入局◆Vol.11

スペシャル企画 2016年2月11日 (木)  橋本佳子(m3.com編集長)

――がん研病院で研修したのは、1973年4月から1974年9月までの1年半。 その間に本当にいろいろな手術を経験した。胃、大腸、食道の手術も多かったけれど、実は一番多かったのは乳がんの手術。1年半の間に20症例ぐらい執刀させてもらった。 がん研病院に行って2年目に入った春、長い間空席であった名大第一外科の教授が決まり、先輩方に学会場などで合うと「もう名古屋に戻ってこい」と盛んに言われた。一通り、手術も経験したので、名古屋に戻る気持ちはあったけれど、卒業して既に5年が経っていた。僕は、学生時代は授業にも出ず、柔道ばかりをやっていた不良学生だった。医局には所属しておらず、大学の僕への印象も悪いと思っていたので、当初は名大病院に行く気持ちは全くなく、名古屋に戻るのだったら、愛知県がんセンターだと考えていた。 けれども、がんセンターには、レジデントのポストが全然なかった。また、がん研病院時代はどの臓器でもやらせてもらえたけれど、がんセンターで食道グループなら食道、胃と腸グループなら胃と腸など、担当する分野は決まっていた。それで結局、名大に行くことに決めた。だから入局したのは、卒後6年目のこと。...