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UCLA留学の最大の成果は「柔道」◆Vol.15

スペシャル企画 2016年2月15日 (月)  橋本佳子(m3.com編集長)

――二村氏が留学したのは、第一外科の助教授時代。1987年9月から1988年6月までのことだ。 塩野谷先生は非常に厳しい方で、「学会発表する前に、論文を書け」と言われ、それも海外のジャーナルに英語で投稿しないと意味がない、と指導されていた。なかなかできなくてね。 胆管がんの手術は、世界でも負けないくらいやっていたけれど、英語の論文をあまり出していなかった。それで塩野谷教授に、「英語圏にどっぷりつからないと、なかなか論文も書けない。一流のところに行って、英語で発表するという文化を学びなさい」と指導されていた。国際学会などにも行っていたから、英語は話せたけれど、いわゆるジャパニーズ・イングリッシュだった。「海外に行って来い」と塩野谷教授から言われたのも、傍から見ると、下手だったこともあるのだろう。 当時は助教授。僕の腫瘍グループには、20数人の医局員がおり、第一外科の医局長も務めていた。けれども、塩野谷教授からは、「大学のことは放っておいてもいい。何とかなる。あとのことを考えとったら何にもできんから、行って来なさい」と言われた。 偶然にも、文部省の在外研究員に申請したら、幸いにも通った。留...