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名大第一外科教授に就任、「大河ドラマを」◆Vol.16

スペシャル企画 2016年2月16日 (火)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1991年、48歳の時に、名大第一外科教授に就任する。 名大第一外科教授就任の頃(提供:二村氏) 名大第一外科は、塩野谷先生が専門の血管外科が主流。けれども、先生は僕に「手術はほどほどにして、もう少し論文を書いてほしい」と時々言われていた。 少しずつ変わりつつあったけれど、当時は手術成績は二の次で、教授になるためには論文の数が重要だった。全国には、外科系でも論文の数で教授になり、手術ができない人があちこちにいた。でも結局、教授が手術ができなければ、外科系教室はつぶれてしまう。 塩野谷教授は、「教授の大事な仕事は、後継者を作ることである」とよく言われた。また、自分の研究を中心として「大河ドラマを作りなさい」ともよく言われていた。 全国の教授を見ていると、自分の好きなことを自分の方針でやってきた人は少なく、先代教授のやり方を踏襲していた人が多かった。僕は、助手のころから腫瘍チームのチーフだったので、自分で考えた自分流の手術をやってきた。 塩野谷先生は、「名古屋スクールを作りなさい」とよく言われた。胆道がんの外科については、肝門部の局所解剖の研究、胆道がんの診断方法の確立、手術の技術開発...