「南三陸病院」、2015年12月に開設【宮城編◆Vol.1】
スペシャル企画
2016年3月1日 (火)
橋本佳子(m3.com編集長)
宮城県の沿岸部にある南三陸町。その町の唯一の病院だった公立志津川病院は津波の被害で全壊した。仮設の診療所や病院で診療を続けてきたものの、2015年12月、「南三陸病院」として開院。「総合ケアセンター南三陸」を併設した同病院は、医療、介護、保健福祉の総合的な拠点として新たなスタートを切った(『最も大変だったのは「震災から1週間」【宮城編◆Vol.2】』を参照)。 「町の復興はまだ遅く1、2割程度にとどまり、地域医療の復興も7、8割程度だが、私のモチベーションは震災前と比べて数倍高い」 宮城県南三陸町にある南三陸病院副院長の西澤匡史氏に、東日本大震災前と比較した復興の状況を訪ねると、こんな答えが返ってきた。南三陸病院の震災当時の名前は、公立志津川病院。海岸から約400mの場所にあった同病院は、5階建ての5階の床まで津波で浸水して全壊。入院患者109人のうち74人が死亡、職員も3人が亡くなり、屋上に避難した職員や患者が救出を待つ映像は何度もテレビや新聞で報道された。総合体育館「ベイサイドアリーナ」を中心に、南三陸町内に複数設けられた避難所には、全国から多くの医療者が医療支援に訪れた(『南三陸...
m3.comは、医療従事者のみ利用可能な医療専門サイトです。会員登録は無料です。