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最も大変だったのは「震災から1週間」【宮城編◆Vol.2】

スペシャル企画 2016年3月1日 (火)  橋本佳子(m3.com編集長)

2015年12月、震災で全壊した公立志津川病院は、「南三陸病院」として生まれ変わった(『「南三陸病院」、2015年12月に開設【宮城編◆Vol.1】』を参照)。震災直後は、医師1人という状況で、多数の被災者を抱える避難所で医療救護活動を行い、仮設の病院と診療所での勤務を続けてきたのが、南三陸病院副院長の西澤匡史氏。西澤氏にこの5年間を改めて振り返ってもらった(2016年2月7日にインタビュー)。 ――この5年間を振り返り、最も大変だったのはいつでしょうか。 南三陸病院副院長の西澤匡史氏 やはり震災直後の最初の1週間です。震災発生時、私は当直明けだったので、自宅にいました。停電のためテレビは映らず、携帯もつながらない中、ラジオだけが頼りでした。病院の被害のニュースは流れず、実兄からのメールで知ったのは、震災翌日の3月12日の朝のこと。兄は早くに前にメールを送ってくれたものの、届くのに時間がかかったようです。 町の状況が全く分からず、とりあえず自宅の近くの総合体育館「ベイサイドアリーナ」に行ったところ、多数の被災者がいることに驚き、急きょ救護所作りを始めたのです。結局、その日は昼食も取らず...