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卒業試験が優先か?それともオリンピックか?◆Vol.7

スペシャル企画 2016年4月7日 (木)  橋本佳子(m3.com編集長)

――浅香氏が大学生活を送った1960年代後半は、まさに大学紛争が盛んだった時期だ。 1966年に入学した頃は、北大はまだ静かでしたが、学年が進むにつれ、徐々に大学紛争が盛んになってきました。特に大学5年生の頃は、授業や実習が3分の1くらいストライキのため休講になりました。 医学部に新聞会があり、写真が好きだった私はカメラマンとして所属。ある日、「北海道大学本部の封鎖が解除されるから、撮影してこい」と言われた。新聞やテレビ局のプロのカメラマンも多数来ており、彼らは腕章をし、ヘルメットをかぶっている。けれども、私は腕章だけをもらっただけで普段着のまま出かけました。多数の機動隊が周りを取り囲み、建物の上から、閉じこもった学生の投げる火炎ビンや石が飛び交い、それに応戦する機動隊からは催涙ガスが発射されました。上から降ってくる火炎瓶や石を避け、催涙ガスに涙を流しながら、何枚も撮影。その時に撮った写真は、北大医学部新聞に掲載されただけでなく、医学部卒業時の記念アルバムにも掲載されています。 北大本部封鎖解除の日。火炎瓶が飛んで来る中、撮影した(提供:浅香氏) ――大学紛争で、学年が進むにつれ、休講...