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研修医時代の症例ノート、「貴重な宝物」◆Vol.12

スペシャル企画 2016年4月12日 (火)  橋本佳子(m3.com編集長)

――卒後4年目、1975年から1年間、札幌市内にある「愛育病院」に勤務する。 大学紛争時代に大学医局と関連病院の関わりは疎くなってしまったのですが、その後、徐々に復活してきました。当時、第3内科の札幌での唯一の関連病院が愛育病院でした。規模はそれほど大きくはなく、内科は120床。内科医は院長の鈴木寛一先生、約10年上の上司の宮坂充輝先生がおられました。この年に派遣されたのが私と同期の樋口晶文君で、私は消化器、樋口君は血液を担当しました。 「大学紛争でもまれたせいか、教えてもらうという発想が少ない。自分で行わないと、何も進まないと思ってやってきた」(撮影:渡邊由幸) 鈴木先生は、北大第3内科出身の“傑物”の一人。皆に「嫌がられる」くらいの知識をお持ちでした(笑)。宮坂先生は、医師としてだけでなく人間的にもすばらしい先生で、この二人の先生に1年間、本当に鍛えられました。外来は週2回のみで、入院診療が中心。患者は常時30人前後受け持っていました。担当は消化器でしたが、実際は、消化器のみならず、糖尿病、血液疾患、心筋梗塞など内科全般を診なければなりませんでした。唯一の関連病院ということで、北大...