ラッキーな「8年間のスカラーシップ」- 坂口志文・阪大特任教授に聞く◆Vol.3
インタビュー
2016年5月8日 (日)
聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)
――研究拠点としては、愛知県がんセンター研究所から、京大に戻り、その後に留学、米国でも何カ所か所属を変えられた。岸本先生(阪大名誉教授の岸本忠三氏)はある著書で、坂口先生の「厳しい冬に時代」と形容されていました(坂口氏は、1983年9月から約9年間、米国に留学)。 私は、日本に職があって米国に短期間留学したのではなく、職がなくて行ったものですから、向こうで「Survive」しなければならなかった。次から次へと、スカラーシップに応募したのですが、何回か出しているうちに、応募書類の書き方も分かってきて、たまたま当たったのが、非常に条件がいいスカラーシップでした。本当にラッキーでした。 ケンタッキーダービーの馬主で、何頭も馬を持っているお金持ちがいて、その未亡人がお亡くなりになった際、「自分の遺産を15年間の間に、全てバイオサイエンスに充て、使い切ってほしい」と遺言を残された。さまざまな大学に寄付され、彼女の名前のビルディングが建てられたほか、全米から、Ph.D で8人、M.Dで8人、毎年16人に対して8年間、給料と研究費を出すという、当時のアメリカで一番ジェネラルなスカラーシップでした。審...
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