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「結核疑い」が医療との最初の出会い◆Vol.3

スペシャル企画 2016年9月3日 (土)  橋本佳子(m3.com編集長)

――北村氏は1941年1月、広島県の呉市に生まれた。 呉は当時、潜水艦の軍港だった。父は海軍兵学校卒業で、潜水艦長をしていた。太平洋戦争が始まる前は、シンガポールなどまで赴いていた。私が生まれた年の12月に起きたのが、真珠湾攻撃。3人きょうだいだったけれど、妹が脳炎を発症し、母親は世話に苦労していた30歳頃まで生きていたが、今で言う重度介護を要していた。姉は二つ上。食糧がなく、栄養状態が悪い時代に幼少期を過ごしていた。呉時代の記憶はほとんどない。 父は、太平洋戦争が終わる頃には、内務勤務になっていた。家族は先に大阪に移ってきていて、父は広島に原爆が投下される2日前に広島を離れている。確か最初に住んだのは、岸和田の近くだったが、その時代の記憶も、あまりない。ただ、空襲で焼夷弾がボコボコと空から落ちてきて、家が火事になり、家にあった仏壇が燃えているのを、近くで見ていた記憶はある。まるで映画のワンシーンのようだった。じっと見ていたら、誰か分からなかったけれど、「危ないから」と言って、背中をワ―っとつかまれて、引っ張り出された。家の火事で小学生以前の写真は全て失った。 そんな戦争の時代だから、...