1. m3.comトップ
  2. 医療維新
  3. 「医学部だったら、阪大に」との母の願い◆Vol.4

「医学部だったら、阪大に」との母の願い◆Vol.4

スペシャル企画 2016年9月4日 (日)  橋本佳子(m3.com編集長)

――両親は医師ではなかったものの、親戚には医師がおり、小学生の時代から医師という職業を意識するようになった。 保険診療と自由診療の区別もはっきりしていない時代だったので、医師はお金持ちだった。私の主治医だけでなく、他の開業されている先生方を見てもいい生活をし、オートバイなどを買っているのを見て、母が「お医者さんになれ、お医者さんになれ」と言い始めた。 私が医師を目指したのは、脳炎を発症した妹のこともあったけど、この母親の言葉の影響も大きい。また母の伯父も東大医学部を出て、伝染病研究所、今の東大医科学研究所に勤務していた。母親自身も、「医師になりたかった」と。ただ、私は長男だったので、東京に出すのは嫌だったらしく、「医学部だったら、阪大に行け、阪大に行け」と言われていた。 高校時代、スキーを楽しむ(写真提供:北村氏) ――1953年、私立の甲陽学院中学校に入学する。 西宮の公立学校からは、医学部に入る人がほとんどいなかった。大阪とは違い、西宮には進学向けの公立はなかったため、受験して合格したのが、甲陽学院中学校。私立なので、授業料は大変だったんじゃないかな。母親は本当にがんばってくれたと...